地球と共に歌う〜yukaring 魂の旅〜

Heal myself , and the earth. Singing together.

わたしは、わたし自身、家族、音楽、世界への敬意をいつも表している。

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先月末のコンサートを終えてから、また新たな視点で歌に取り組んでいる。

その中心には、「音楽(メロディー)大切に扱うこと」「音楽に敬意を表すること」そんな気持ちをいつも胸に抱いて演奏に取り組もうという想いがある。

 

じぶんの演奏を客観的に聴いて分析できるようになってきて、よりそんな事を感じた。また、わたしの歌を客席から聴いてくれた最愛のパートナーは、わたしより何倍も繊細な耳を持っている事もあり、こんな感覚がこれまで以上に高まっているのかも知れない。

 

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このブログでも何度か書いている気もするが、歌はわたしの人生そのもの。

楽器がわたし自身であり、演奏者もわたし。

 

体調や心のコンディションでの面、本番までのプロセスも全て自分次第。

歌うことに限ったことでは無いが、全てはわたしから始まる世界なのだ。

 

音楽に敬意を払うことは、自分自身に敬意を払うことに繋がる。

そして、それはパートナーを始め、家族や繋がる全ての人たちに拡がるのだ。

 

いつも「いまのわたし」の感覚がそのまま外に出る。

 

それは、過去でも未来でもなく、「現在(いま)」のわたし自身。

 

いつだって毎瞬 毎瞬、声を出す時はこの事を忘れずに胸に刻んでおこう。

 

そんな事をふと感じた、本日。

(入籍して一週間経過)

 

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また昨日・今日と、通常行っている地域の歌の教室の日だった。

連休明け久しぶりの仕事のせいか、朝から力が満ちて心身喜んでいるじぶんが居た。

 

歌を通じて生命が喜ぶ感覚を感じられる、そのこと自体が嬉しい。

 

演奏も歌から生まれるコミニュティも、全てわたしの表現となる。

 

*美しい土に触れる豊かさ*〜月星座である牡牛座の日に。

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五月五日
夫の父と、庭に畑の畝を作った。

小さな畝だけれど、記念すべき初作業。

掘り起こした土にはものすごい根が張り巡らされていて、虫や微生物や菌の活動などなど、ありとあらゆるネットワークを感じた。

ようやく始まる 新しくやりたい事

昔から「カッコウが鳴いたら畑に種を蒔く」と言われているそうで、その頃には霜が降りないので、種蒔きにベストな時期だとか。


一つひとつ豊かな知恵を知る喜び

 

じんわりと身に沁み渡る至福のエネルギー

 

そして、音楽の扉もまた一つ開いた。

 

やりたいことは、やはり全て望んだらいい。

 

偽りなく表現する。

 

そこから本来のじぶんが活きる。

 

じぶんを生きること

 

それが最高の贅沢であり豊かさの秘訣だ*

 

牡牛座の新月に、そんなことをまた痛感した。

 

月星座は、じぶんの中のキャラクター。

わたしは、月星座が牡牛座で、じぶんの五感・体感・安心感や居心地のよさが満たされているかを重視しているように自己分析している。


人と触れ合い、自然と触れ合い、食を楽しみ、じぶん自身を奏でる。

 

最高に贅沢なじぶんを生きて、じぶんを活かす。

 

まるっとひとつながりと成り、幸せなスタートを切った。

令和の始まりに思う〜わたし達の三種の神器を使いこなす〜

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四月三十日の平成天皇の退位の儀を拝見した後に、パートナーと何気なく語ったこと。

 

それは・・・

 

それぞれの三種の神器について! でした。

 

夫:「yukaring(私)の三種の神器って何かなぁ?」

私:「えーっ!?  何だろうね。」

夫:「やっぱり、一つ目はだよね。」

私:「そうだねぇ。あとは・・・ (色々挙げるとキリがないので)持ち物じゃなくて、身ひとつで備わっているものが良いね。」

夫:「後は、笑顔かなぁ。」

私:「おぉーー(既に笑顔)いいねぇ。 」

 

<<しばらく、三つ目を考える>>

 

私:「じゃあ、三つ目は、ユーモアかな!?」

(色んなきっかけで、よく夫を笑わせているので。)

夫:「おぉーいいじゃん!」

私:「じゃあ、逆に○○○さん(夫)の三種の神器はねぇ、」

 

 以下、略。

(パートナーの三種の神器は、オフラインにて。。)

 

と、こんな風な会話が続き・・・

 

わたくし、 yukaringの三種の神器は、歌・笑顔・ユーモアとなりました。

 

これ、これから逢う人みんなに聞きたいっっ!!!

 

神器とは言え、ものに頼らずにじぶんの中に在るものを遣うと決めたことも個人的には気に入っています。

(もちろん、わたし達の自由な感覚の中で決めたことで特に決まりは無しですよ♫)

 

また、こんな会話がわたしの中ですごくヒットして、こんな内容を自然に語り合いができる人とめぐり逢えた事にじんわり感激したのでした。

 

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令和元年五月一日

 

今夏から移り住む、北杜市役所に婚姻届を提出しました。

記念の日に結婚の運びとなった、全てのご縁に心から感謝です。

 

新たな時代と共に、それぞれの三種の神器を生かし合い、ふたりで力を合わせてこの先の人生をより一層豊かに楽しく歩んで参ります。

 

yukaring.Y.

わたし達は、愛し愛されるという体験の為に生まれてきた。

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最愛の人と、それぞれの両親たちと共にわたしの育った土地を巡る旅をした。

 

この日もまた、記念の日となった。


わたしの内側にある世界が外側に映し出されているならば、言うことなしに最高の形で現実化している♾

 

もはや、魂は愛の表現だけに徹していると感じる。

 

しかしながら、人生は愉快痛快

 

愛の表現は、いつも心地よいだけでなくて、時よりピリ辛のスパイスが効いたり甘すぎたり色々だ。

その反応も、その時に感じる体感はいつも変化に富んでいて、わたしはその度に嬉しいやら恥ずかしいやら様々な感情が溢れる。

 

それすらも、全て愛の表現なのだ。

 

その時は笑えない言葉も、後になってみれば全てがLOVEで締めくくられる。

 

それで、いいのだ!!

 

感情にしがみつかず、流れるままに行こう。

つい先日、こんな経験をしたばかり。

究極、これがしたかった。。という話。 - Who am I?

 

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つい先日、 "魂が同じ方向を向いているなぁ" と感じる人との再会で、『生まれてきた目的って究極、今世で何をやるか(体験)とファミリーカルマの解消だと思う』というような発言がすごく印象的で、(一字一句同じではないかも知れないけれど)この言葉は、わたしへのメッセージかの様に感じた。

 

激しく共感するし、ドンピシャな内容!


わたし自身、パートナーとのご縁が結ばれたのはご先祖さまの導きを強く感じている事もあり、人生の要は、家族との関係性を深められるか。また、血縁に関係なくファミリーと感じられる人たちと出逢い大切なものを共有できるか。


そして、そうなるプロセスとして、意識は源へ還り、わたしがわたしを生きる事に集中して行動が出来るかに掛かっているのだと、実体験から今ならそう言える。

 

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とまぁ、感じた事を書いているけれど、

 

結局のところ...源に還ることによって、ごくごくシンプルな結論に至るのだ。

 

究極、わたし達は愛し愛される事を体験する為に生まれてきた。

 

愛に気付くことで、ある意味全てが終わる。


終焉を迎えるその日まで・・・この地に生まれたことを誇りに思い、この先も愛を知る体験を存分に楽しもう◎

究極、これがしたかった。。という話。

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毎日が、満ち溢れて仕方がない。

 

そんな感覚で、週末を迎えてコンサートの伴奏合わせに意気揚々と臨んだわたし。

 

なのに、この後、置き場のない悲しみが溢れることに。。。

 

何と、練習してたつもりが文字通り "つもり" になっていて、大切なメロディを自分勝手な解釈で歌っていた事が判明。

近年稀に見る散々な、ピアニストとの伴奏合わせとなってしまいすっかり意気消沈。

 

帰り道、心と身体の整理が追いつかずに涙がこぼれたのだった。

 

"不甲斐ない、悔しい。悲しい。"

 

最近では全く感じなかった、湧いてくる感情を確かめながら、パートナーに悲しくなってしまった気持ちをLINEで送る。

 

実は、この日はパートナー宅へそのまま直行する予定だったのだ。

 

パートナーは、初めてわたしの気落ちした内容のLINEに前向きな応援の言葉を送ってくれた。

 

そこにまた凹んだ気持ちを表すLINEスタンプを押しては、彼に励まされる。

 

そんなやり取り何度もを繰り返して、すっかり気が紛れた状態でパートナーが迎えに来てくれる駅に笑顔で到着。

 

のつもりだったのだけれど、、

彼の顔を見たら涙がまた溢れてしまった。

 

こんな状態を見せたのは、全く初めて。

 

じぶんでも驚いたけれど、こんな瞬間も在るという事もわたしはワタシを受け入れる。また、我慢したり隠そうとしない在るがままで居るというスタンスも心地よいので、感じるままに涙を流した。

 

彼は、驚いていたけれど心が落ち着くような言葉を掛けてくれて、静かに寄り添ってくれた。

 

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この時の涙の感情は、特に重いものでもなく、一つの “発散” だったのかも知れない。

 

けれども、ふと今感じることは・・・

 

わたしはただ単に、彼の優しさを感じて、愛されている感覚に包まれたかったのではないか。

愛されている喜びを改めて感じて、改めて愛しいと想う気持ちに浸りたかったのではないだろうか。。

 

きっかけは何にせよ、人の感情の裏側にはいつも、「愛」の表現があると感じている。

 

それだけで充分だというお話(ストーリー)。

 

恥ずかしいけれど、じぶんの中をよりオープンにしたく、記事に残しておきます。

虹の戦士たちが当たり前に居る世界

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平成が終わり、令和が始まる。

不自然にバランスを保とうとしていた時代から、ハーモニー・愛と調和の時代へ。

 

この時代に日本人と生まれてきたわたし達は、少しずつこれまでの違和感に気付き始めて本来の姿へ戻ろうとしている。

 

それは、比較の無い、恐れも不安も無い、わたしがわたしを生きる喜びの世界をじぶん達の行動から再生すると事が出来るという真実。

 

この真実へ向かっているのだ。

 

真の愛の表現へ。

 

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わたしは、わたしで良い。

あなたは、あなたで良い。

 

この愛に還るエネルギーがどれだけパワフルで、社会をひっくり返す事が出来るか。

 

そんな絶妙な間を生きている、わたし達。

 

そして、次世代へバトンを渡すべく持続可能な地球に優しい生き方への実践を決めた、わたしの新しい道。

 

今週は特に、そんなメッセージと体感を味わった怒涛の日々でした。

 

ヴィジョンが明確になったら、そこに情熱を注ぐのみ!

 

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愛の存在たちに、地球で逢えたことに感謝。

 

声を発する、感じる、肉体を使うって、素晴らしい!

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歌うこと 踊ること

それは、 生命が喜ぶことであり、わたし自身が自分を深く知る じぶんとの繋がりが深まる時。

この時間を重ねれば重ねるほどに、内なる宇宙は進化して外の世界へ還元される。

 

もっと前を遡れば、じぶん自身が楽しんでやっていた水泳や卓球も、様々な方法でこの肉体を使ってわたしは自分を知ること・自己探求を楽しんできたのだけれど。

 

"その時が来た" のか、
唄と踊り に意識が向いています。

 

またフラの振りも覚えたいし、最初に自由に踊ることにチャレンジしたコンテンポラリーもやりたい。
また、観音舞の光の姉妹たちと、わたしの唄でも一緒に場を創りたい。

 

今朝は、久しぶりにフラのステップを思い出しながらやってみました。
唄と踊りは、わたしの生命そのもの。

 

日々歌っているけれど、本当に色んな可能性があります。

 

八ヶ岳南麓で、やりたいこと沢山*