友人と話していて気付いたこと。
長年の経験で積み重なって確立されてきた趣味趣向や価値観は、「わたし」という存在を生きるのにとても大切な指針となり、自己表現の中心であります。
わたしの場合は、13歳頃からじぶんの中からカラーが色濃く出てきて、好きな世界観が割とハッキリとしてきたと感じています。当時好きだったものは、現在のわたしのルーツになっています。
それだけ好きものが明確だと拘りも強くなり、ものの考え方や日々の細々とした選択でさえも、じぶんの中のYESとNOが本当にハッキリ感じられるようになりました。
この事は、アーティストであるわたしにとって非常に心地よい生き方であり、わたしが本当に望む生き方を決断して実践する中で冒頭で書いた通り、わたし自身が人生の指針になっていると実感しています。
その中で、全てが上手く進んでいたらAll OK!
ただ、何か、どれかが滞っていたらどうでしょう。
もしかして、その指針(自分軸)の拘りが「思い込み・執着」の部類に入っているのかも知れません。
「絶対にコレがいい」という条件付けは、それに捉われているうちは本質が見えづらいもの。
例えば、欲しいものや達成したいことが確実に決まっていたら、焦らず待つ時間や妥協しない軸も大切ですが、何度も同じようなパターンを繰り返しているとしたら、一旦その拘りを外した視点を持つことで思いがけないギフトを手にするかも知れません。
もっと言うと、本当にじぶんが求めているものは全て愛からの視点。
私たち個人が考えたり望んだりする感覚と繋がっている、その先・・・もっと大きな視点で感じている感覚だと感じています。全ては愛と調和の中で自然に流れてゆくものだから。
新たな環境や人間関係・価値観や習慣などこれまで慣れ親しんだ世界観を変えるに対して、いくら深い部分で望んだことでも、始めは居心地悪くて「変えたくない」「前の方が良かった」なんて思いがちなのですが、そこを一歩引いたところで大きな視点で感じてみる。この現状を受け入れてみる。
この、ブレないじぶん軸と譲歩のあいだを軽やかに使い分ける(見極める)コツが掴めてくると、本当の意味で「調和」という意味がよくわかるし、人は決してひとりでは無いこの世界に感謝の気持ちが自ずと湧いてくるので、また満ちて循環されていきます。
それは、依存と共存・共生の違いに気付けるプロセスでもあります。
そんなタイミングで昨夜、ふと4年前に書いていたノートを読み返しました。
ここには、当時こうなったらいいなぁと望んでいたことが記してあります。
望むことは、過去も現在も大して変わっていません。
その中で想像以上の形で叶っていたことも沢山ありました。
きっとそれらは、わたしの中の妥協しない強さと変化に対応できる柔軟さが、上手い具合に融合した結果なのだと感じています。
また、新たなサイクルの始まり。
この先、またとっても楽しみです♡