共有できる場所は、ゼロ地点。
声なき声を唄に
大地を踏みしてる喜びをダンスに
ここではない何処かへ馳せる想いを光に
"We are Right players"
Right players by yukaring.
わたしたちは、いつも魂の声を感じる事で光照らされて喜び溢れる体験をしている。
その光は、他者をも照らし、また他者からの光でも照らされて互いを尊重し生かし合っている。
共有する・シェアするという言葉の本質は、正にこの体験そのものだと感じている。
互いの自由度をそのままに、交わる地点で分かち合う。
プラスもマイナスもない、ゼロ地点。
一つの世界から地球に分離したわたしたちは、全体の調和を忘れてプラスやマイナスに引っ張られてしまう事がある。
そもそも、プラスもマイナスも存在しなかったことを思い出すのがゼロ地点。
そこで交わる感覚は、愛そのもの。
愛はただ存在するだけなので、"与えるや受け取るという感覚" もおそらく無いのではないだろうか。
すべては存在の美しさと循環そのもの。
ここ数日の体験を通じて、今はそんなことを感じている。
自然という言葉は、とてもシンプルだけど簡単なことではない。
けれども、どこでもない何処か、イマココを感じる時は本当の意味で自然な状態なのだと感じる。
わたし自身は、歌や踊りを通じてその体感の共有をしたいのかも知れない。
だからフラットな感覚が好きなのだと思う。
それが自由そのものだから。