究極、これがしたかった。。という話。
毎日が、満ち溢れて仕方がない。
そんな感覚で、週末を迎えてコンサートの伴奏合わせに意気揚々と臨んだわたし。
なのに、この後、置き場のない悲しみが溢れることに。。。
何と、練習してたつもりが文字通り "つもり" になっていて、大切なメロディを自分勝手な解釈で歌っていた事が判明。
近年稀に見る散々な、ピアニストとの伴奏合わせとなってしまいすっかり意気消沈。
帰り道、心と身体の整理が追いつかずに涙がこぼれたのだった。
"不甲斐ない、悔しい。悲しい。"
最近では全く感じなかった、湧いてくる感情を確かめながら、パートナーに悲しくなってしまった気持ちをLINEで送る。
実は、この日はパートナー宅へそのまま直行する予定だったのだ。
パートナーは、初めてわたしの気落ちした内容のLINEに前向きな応援の言葉を送ってくれた。
そこにまた凹んだ気持ちを表すLINEスタンプを押しては、彼に励まされる。
そんなやり取り何度もを繰り返して、すっかり気が紛れた状態でパートナーが迎えに来てくれる駅に笑顔で到着。
のつもりだったのだけれど、、
彼の顔を見たら涙がまた溢れてしまった。
こんな状態を見せたのは、全く初めて。
じぶんでも驚いたけれど、こんな瞬間も在るという事もわたしはワタシを受け入れる。また、我慢したり隠そうとしない在るがままで居るというスタンスも心地よいので、感じるままに涙を流した。
彼は、驚いていたけれど心が落ち着くような言葉を掛けてくれて、静かに寄り添ってくれた。
この時の涙の感情は、特に重いものでもなく、一つの “発散” だったのかも知れない。
けれども、ふと今感じることは・・・
わたしはただ単に、彼の優しさを感じて、愛されている感覚に包まれたかったのではないか。
愛されている喜びを改めて感じて、改めて愛しいと想う気持ちに浸りたかったのではないだろうか。。
きっかけは何にせよ、人の感情の裏側にはいつも、「愛」の表現があると感じている。
それだけで充分だというお話(ストーリー)。
恥ずかしいけれど、じぶんの中をよりオープンにしたく、記事に残しておきます。